ぺんたゴンチャです。
沖縄の浦添市主催で、教育に関する会議が開催され、そこでパネラーの一人である学習塾経営者が、「アホと貧困は遺伝する」と発言しました。この発言は、非常に問題視され、方々で阿鼻叫喚の大炎上となっています。
あなたはどうお感じになったでしょうか?
あなたや私は賢明なる投資家たらんとする者でありますから、何より重要なことはファクト、事実です。この点、「あほと貧困は遺伝する」という内容がファクトなのかどうか、冷静に捉える姿勢が重要となります。
次のグラフをご覧ください。

理由は、「薄々多くの人は気付いているが、しかし、それは言ってはいけないこと」だからです。これをタブーと言います。
なぜそれを言ってはいけないか?というと、「スタートはみんな平等ですよ」という幻想が社会安定の基盤になっているからです。しかし、それは事実とはかけ離れています。スタートもゴールも平等などということはあり得ないのです。
これはしばしば「機会の平等」や「結果の平等」という表現がされるトピックです。
だからこそ、アホは遺伝する、と口の端に乗せることは、「機会の平等は幻想なのだよwwww」とタブーを破ることと同義であり、世間の怒りを買うわけです。
学力が低かった親は、子供に対して、学力が高いことのメリットや学力を上げるメソッドを身を以って示すことができません。示そうと努力することすらしない親も居ます。
当然、子供も必死に勉強をがんばるようにはなりません。中にはそういう子もいるでしょうが、割合としては少なくなります。
その結果、高校すらまともに出ていなかったり、大学に行こうとしても親に反対されて学費を出してもらえなかったりして、低学歴者として労働市場に放り出されることになります。
残酷なことに、労働市場では、高学歴、つまり有名大学卒業が重要な資格として機能しています。学歴がすべてではない、と低学歴者が喚き叫ぼうが、事実として、有名大卒者は高給な有名企業に就職することが普通のことであり、田舎の低学歴者と生涯賃金を比較すると絶望的なほどの格差が存在します。
しかも、社会に出てから、低学歴者が直接、高学歴者と交わることはあまり多くないことから、結局、その子供も同じように学歴を重視しない育て方がされるわけで、学力が低いことが親から子へ受け継がれます。
学歴や学力を重視しないとはどういうことか?と言いますと、深夜に居酒屋に子供を連れまわして飲み歩いたり、子供が勉強せず街で夜中まで遊びに出歩くのを咎めなかったり、という典型的なDQN行動もありますが、地味なところでは、ご家庭に本がほとんどなかったり、親自身が勉強する習慣が全くなかったり、ということも子供の学力に影響するという研究結果が知られています。
こうして、親を選べない子供はスタートから「劣悪な環境」という点で平等ではなく、アホは「遺伝」してしまうわけです。(遺伝学とは違いますけどね)きちんとした言葉で表現するなら、「低学力は連鎖する」ということです。
そして、学力が低ければ、まともな大学にいけませんから、給料の良い会社に入ることはほとんど不可能です。つまり、貧困も遺伝する、と言えるわけです。
ところで、結婚によって、状況は挽回できるでしょうか?いえ、不可能です。
想像して頂きたいのですが、有名大卒の男性と高校中退者の女性が出会う場面というのがどれくらいあるでしょうか?或いはこの逆のケースでも結構です。絶望的に、ほとんどそのような場面はないことにすぐ気付くはずです。
こうなると、有名大卒者は有名大卒者のコミュニティに生息し、高校中退者は高校中退者のコミュニティに生息することになりますから、従って、子孫づくりはそれぞれのコミュニティーで行われることになります。
結果、両親が大卒の子供は、ふつうは大学に進学しますが、一方、両親が高卒中退であれば、その子が大学に進学する可能性はずっと低くなるわけで、結局、両者の収入は世代を経るごとに格差が拡大していきます。
これは実際、アメリカではかなり問題になっています。格差の拡大と固定化という問題です。
こうした事実から目を背けて、「みんな平等だから普通に公教育に任せておけば問題ない」という幻想を持っていると貧乏くじを引くことになりますから、ぺんたゴンチャ家では、資本主義の残酷さを子供にたびたび話をしています。
すべてはあなた次第です。

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沖縄の浦添市主催で、教育に関する会議が開催され、そこでパネラーの一人である学習塾経営者が、「アホと貧困は遺伝する」と発言しました。この発言は、非常に問題視され、方々で阿鼻叫喚の大炎上となっています。
あなたはどうお感じになったでしょうか?
あなたや私は賢明なる投資家たらんとする者でありますから、何より重要なことはファクト、事実です。この点、「あほと貧困は遺伝する」という内容がファクトなのかどうか、冷静に捉える姿勢が重要となります。
結論から言えば、アホは世代を超えて連鎖しますし、貧困も同じく世代を超えて連鎖していきます。必ずしも遺伝子レベルでそうなっているのかという点は何とも言えませんが、学力や富裕レベルが親から子へ、子から孫へと引き継がれていることは、データから明らかです。
次のグラフをご覧ください。

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アホの定義をここでは「学力が低いこと」としておきましょう。潜在的地頭の良さ、という定義もできなくはないのですが、それは観測しづらいものであり、一般に、地頭が良ければ、学力が高く、良い大学に入るという結果と相関がある為、より観測しやすい学力を頭の良さの定義として使う方が良いからです。
冒頭のパネラーのいう「アホの子はアホになりやすい」ことはどうやら事実そうなのに、どうして炎上してしまっているのでしょうか?
理由は、「薄々多くの人は気付いているが、しかし、それは言ってはいけないこと」だからです。これをタブーと言います。
なぜそれを言ってはいけないか?というと、「スタートはみんな平等ですよ」という幻想が社会安定の基盤になっているからです。しかし、それは事実とはかけ離れています。スタートもゴールも平等などということはあり得ないのです。
これはしばしば「機会の平等」や「結果の平等」という表現がされるトピックです。
だからこそ、アホは遺伝する、と口の端に乗せることは、「機会の平等は幻想なのだよwwww」とタブーを破ることと同義であり、世間の怒りを買うわけです。
学力が低かった親は、子供に対して、学力が高いことのメリットや学力を上げるメソッドを身を以って示すことができません。示そうと努力することすらしない親も居ます。
当然、子供も必死に勉強をがんばるようにはなりません。中にはそういう子もいるでしょうが、割合としては少なくなります。
その結果、高校すらまともに出ていなかったり、大学に行こうとしても親に反対されて学費を出してもらえなかったりして、低学歴者として労働市場に放り出されることになります。
残酷なことに、労働市場では、高学歴、つまり有名大学卒業が重要な資格として機能しています。学歴がすべてではない、と低学歴者が喚き叫ぼうが、事実として、有名大卒者は高給な有名企業に就職することが普通のことであり、田舎の低学歴者と生涯賃金を比較すると絶望的なほどの格差が存在します。
しかも、社会に出てから、低学歴者が直接、高学歴者と交わることはあまり多くないことから、結局、その子供も同じように学歴を重視しない育て方がされるわけで、学力が低いことが親から子へ受け継がれます。
学歴や学力を重視しないとはどういうことか?と言いますと、深夜に居酒屋に子供を連れまわして飲み歩いたり、子供が勉強せず街で夜中まで遊びに出歩くのを咎めなかったり、という典型的なDQN行動もありますが、地味なところでは、ご家庭に本がほとんどなかったり、親自身が勉強する習慣が全くなかったり、ということも子供の学力に影響するという研究結果が知られています。
こうして、親を選べない子供はスタートから「劣悪な環境」という点で平等ではなく、アホは「遺伝」してしまうわけです。(遺伝学とは違いますけどね)きちんとした言葉で表現するなら、「低学力は連鎖する」ということです。
そして、学力が低ければ、まともな大学にいけませんから、給料の良い会社に入ることはほとんど不可能です。つまり、貧困も遺伝する、と言えるわけです。
ところで、結婚によって、状況は挽回できるでしょうか?いえ、不可能です。
想像して頂きたいのですが、有名大卒の男性と高校中退者の女性が出会う場面というのがどれくらいあるでしょうか?或いはこの逆のケースでも結構です。絶望的に、ほとんどそのような場面はないことにすぐ気付くはずです。
こうなると、有名大卒者は有名大卒者のコミュニティに生息し、高校中退者は高校中退者のコミュニティに生息することになりますから、従って、子孫づくりはそれぞれのコミュニティーで行われることになります。
結果、両親が大卒の子供は、ふつうは大学に進学しますが、一方、両親が高卒中退であれば、その子が大学に進学する可能性はずっと低くなるわけで、結局、両者の収入は世代を経るごとに格差が拡大していきます。
これは実際、アメリカではかなり問題になっています。格差の拡大と固定化という問題です。
こうした事実から目を背けて、「みんな平等だから普通に公教育に任せておけば問題ない」という幻想を持っていると貧乏くじを引くことになりますから、ぺんたゴンチャ家では、資本主義の残酷さを子供にたびたび話をしています。
すべてはあなた次第です。
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